統一教会と自民党の歴史的関係【岸家、安倍家と文鮮明】との蜜月時代を探る

岸信介と文鮮明の握手
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日本政界に影響力を持つ世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党は、どのような経緯で接近したのでしょうか?この記事では、岸信介元首相~安倍晋太郎~安倍晋三元首相~岸信夫までの3代に渡り続いた統一教会と自民党の密月関係を時系列で追ってみます。

統一教会と安倍家と岸家の蜜月年表
出典元:毎日新聞
岸信介当選と安倍家
出典元:毎日新聞

岸信介元首相と統一教会

統一教会は1954年に韓国で文鮮明氏によって創設されました。日本では1964年に宗教法人として認証されました。同年、統一教会は岸信介元首相の自宅の隣に本部教会を移しました。岸氏は統一教会の信者ではありませんでしたが、右翼の大物である笹川良一氏の紹介で統一教会と接触しました。1973年には岸氏が教団を訪れ、「笹川君が統一教会に共鳴して『私が陰ながら発展を期待している純真な青年の諸君だ』という話を聞き、礼拝の後に参りお話ししたことがありました」とあいさつしました。この出会いにより昭和の妖怪こと岸信介は、満州での阿片密売に代わる闇の政治資金の調達先を確保した。

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国際勝共連合の設立と自民党の協力

統一教会は1968年に「共産主義からの解放」を掲げる政治団体「国際勝共連合」を設立しました。名誉会長には笹川良一氏が就任しました。1974年には教祖の文鮮明氏が来日し、福田赳夫蔵相(当時)が「アジアに偉大な指導者あらわる。その名は文鮮明」とあいさつし、文氏と握手しました。1985年には岸氏が韓国で開かれた「国際勝共決起大会」にメッセージを寄せ、「私のもっとも尊敬する一人である文(鮮明)先生は、民族をこえアジアと世界のために粉骨砕身、努力してこられました」と述べました。

自民党は共産党の躍進に危機感を持ち、「反共」を掲げる勝共連合と協力しました。1986年の衆参同日選では、「保守圧勝を」と訴えた勝共連合が自民党の選挙支援を行い、自民党は圧勝しました。しかし、日本では霊感商法や合同結婚式などが社会問題化し、旧統一教会への批判も強まりました。

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安倍晋太郎氏から安倍晋三氏への継承

1987年8月に岸氏が死去すると、同年10月に自民幹事長に就任した娘婿の安倍晋太郎氏が勝共連合と親しくなりました。1989年の「勝共推進議員の集い」では「勝共運動とともに自由主義体制を擁護していかなくてはならない」と述べました。1991年に晋太郎氏が死去すると、勝共連合は「勝共推進でも先頭に」「氏は陰に陽に本連合に対し支援、助言を行ってきた」と評しました。

晋太郎氏の後を継いだ安倍晋三氏は、2006年に首相に就任しましたが、1年で辞任しました。その前後には、教団の関連団体「天宙平和連合」(UPF)の会合に祝電を送ったり、教団トップの韓鶴子総裁に敬意を表したりしました。

2012年に第2次安倍政権が始まると、安倍氏は雑誌「世界思想」の表紙を何度も飾り、同誌は安倍氏を「歴代内閣を格付けする」特集でAランクと評価しました。2015年には、清和会の下村博文文部科学相(当時)が世界平和統一家庭連合への名称変更を許可しました。安倍氏は統一教会とのかかわりにおいては、「親玉みたいな存在」と言われるほどでした。

安倍晋三元首相の銃殺と統一教会

安倍晋三統一教会でスピーチ
出典元:毎日新聞

2021年9月、安倍氏は自宅で銃撃されて死亡しました。犯人は逮捕されましたが、動機は不明です。この事件は日本国内だけでなく、世界中に衝撃を与えました。安倍氏の死に対して、統一教会はどのような反応を示したのでしょうか?

統一教会は、安倍氏の死を深く悼みました。教団の関連団体「天宙平和連合」(UPF)は、安倍氏が参加したイベントのビデオメッセージを公開し、「韓鶴子総裁に敬意を表します」と語る安倍氏の姿を紹介しました。また、教団系出版社が刊行した「日本統一運動史」では、「安倍晋三元首相は、岸信介元首相から3代にわたって統一教会と親密な関係を築いてきた偉大な政治家であり、日本とアジアと世界の平和と発展に多大な貢献をした」と評価しました。

しかし、統一教会と自民党の関係は、安倍氏の死後も続くのでしょうか?統一教会は、自民党の次期首相候補として有力視される菅義偉官房長官や河野太郎防衛相などにも接近しているという報道があります。一方、自民党内では、統一教会との関係を見直すべきだという声もあるということです。統一教会と自民党の関係は、今後どのように変化していくのでしょうか?注目が集まります。

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