はじめに:紫式部が1000年後の現代にそのその名を残す自己改革の跡
時はかれこれ1000年前の平安中期、枕草子で一世を風靡した清少納言が宮廷を去った5年後、中宮彰子(藤原道長の娘)に仕えるために紫式部は類まれな文学の才能を認められて宮中へ華々しくデビューします。そこで様々な洗練を受け、さらに納言と定子のプレッシャーを感じつつ、後世に残る大名作を生み出していきます。
紫式部の宮中デビューは、大注目を浴びてスタートします。彼女は中宮彰子に仕えながら、その才能と魅力で宮中での地位を確立します。宮中でさまざまな経験を積みながら、納言や定子など、他の才能ある女性たちの影響を受けながら宮仕えを続けます。
彼女の半生は、苦労やプレッシャーに満ちたものでしたが、それでも彼女は才能を開花させ続けました。彼女の作品は、日本文学の中でも特に重要な位置を占めています。紫式部の物語は、彼女の個人的な経験や感情を通じて、当時の日本の文化や社会の一端を伝えています。
平安の1000年女王紫式部をに併せて3回に分けて執筆挑戦します。ご期待ください。
平安のパイオニア・エクセレンス 紫式部の生立ちと人物像
紫式部は、平安時代中期に活躍した女流作家であり歌人です。世界最古の長編物語である「源氏物語」の作者として、日本文学史に多大なる影響を与えました。紫式部の人物像については、以下のような特徴が挙げられます。父親は学者・詩人の藤原為時で、屈指の学者、詩人と言われ、一時期は花山帝(一条天皇前の65代天皇)の教育係をしたほどの人物です。紫式部も幼いころから漢学や和歌の才能を発揮しました。
父の教えを受けていた弟の授業を隣で聞いて完璧にマスターしてしまい、それはまるで平安のワンダーウーマンのようでした。当時の社会では女性が漢字を使うことは好ましくなく、紫式部は父親から「男に生まれて来ればよかった」と言われたほどの才色兼備の紫式部は10世紀後半に京都で生まれました。幼少時に母を亡くし、母亡き後、唯一の心のよりどころであった仲良しの姉もほどなくして死去、姉の友人も死去し、父であった為時はいえば、名門出身であったが、偏屈で頑固で世渡り下手が災いして無職に近い感じで、父の出世が思うように進まず、父親が都から地方へ赴任が決まりついていくしかなく、その時紫式部は既に26才。
都落ち
華やかさをかけ離れた質素な田舎で、偏屈な父親の身の回りの世話をしながら、気をまぎらわせるために大好きな書物を読みあさり毎日を過ごしていました。そんなこんなで紫式部の結婚は20代後半と遅くなりました。そんな折、都から紫式部にラブレーターを送ってくれる男性が現れます。紫式部は白馬に乗った王子様を想像しながら密かな思いを込めて文通を初めてついに遠距離恋愛を成就させます。
平安のミドル ブライズ:ハッピーウェディング バージンロードを歩む
しかし、白馬の王子の名は、藤原宣孝で紫式部より親子ほどの年上の髭面中年太りの金持ちで正室、側室、愛人多数のプレイボーイでした。紫式部はドラマや漫画のようなハッピーエンドが不釣り合いなのが、私の人生なのね」と開き直り、この家柄の良い世渡り上手で自分の父と真反対の平安時代の性欲丸出しのネイチャーボーイと夫婦になりました。
君といつまでも
- (宣孝)「我が世の春、いつまでも一緒に仲良く添い遂げようね、好きやねん、我愛你」
- (式部)「私にも遅い春が来た。私を都に戻してくれる私だけのダンディ狛犬、毎日キスして抱きしめて」
- (式部)「夫のビジュアル?瞳を閉じればロマンテックが止まらないわ」
平安時代のワンダーウーマンの戦いが宮中で始まる
※清少納言ウイカは、藤原宣孝のことを枕草子で徹底的に馬鹿にします。
- (納言)<119段>神社参りは質素な服を着て行くべきなのに、式部の旦那宣孝は「つまらないよ。神様は粗末な服で来いとは言ってないじゃん」と言って、紫とオレンジ色のドハデな服で現れたの。みんなあきれていたわ! by ファーストサマーナゴンウイカ
- (納言)<109段>式部の従兄弟・藤原信経を非難した話も書かれています。 信経君、歌も読めず、字が下手で漢字や仮名も読めない。いとおかし!by ファーストサマーナゴンウイカ
※紫式部由里子も負けていません。
- (式部)清少納言ウイカこそ、キツネ顔のセレブ気取り。自慢げに漢字を書き散らしてるけど、よく見たら間違いだらけ!人より偉いとかん違いしてるヤツは落ち目になるに決まってるのよ! by 紫式部由里子
平安のハピネスウーマン:淑女としての幸せを満喫
式部は女性として幸せを、三十路手前で手に入れました。妻として宣孝を支え、長女賢子(かしこ)をいわゆるひとつの高齢出産しました。やっとこの歳で人並みの幸せを手に入れてこの春を満喫した式部だが、このころから宣孝は家に帰ってこなくなったのです。「また別の若い女のところへ行ったのね!でも世間の夫婦なんてそんなもんでしょう?」卑屈になる式部ですが、安定した日々は2年で終わりました。
愛しの夫、宣孝が死去しました。本妻でなかった式部は、死に目にも会えず、葬儀にも出られませんでした。近所の主婦友から気晴らしに読書を進められた式部は、読者に没頭して読むだけではあきたらず、ついには小説家デビューします。初作品は「桐壺巻」だと言われています。女性ファンが急増して「チョメチョメって何?ってゆーかまさか〇×?続きみたーい」こんな感じで大ヒット!その噂は宮中の時の権力者藤原道長の耳に入り、ドラフト1位で娘の中宮彰子サロンに指名されました。
もともと式部は、あまり美人はない、辛抱強い人目を気にする、性格は暗い、人付き合いは苦手だが人間洞察は鋭い、ひきこもりタイプであったので、「いくら宮中といえど女房なんて所詮召使い、落ちぶれた人間のすること」「数々の男の目にさらされて女の恥じらいもなくような出しゃばりばかりの下品な場所で働くのは絶対イヤ」と拒絶して当然オファーを断るつもりでいましたが、「年老いた父と幼子の世話、ぱっとしない弟の面倒」から生活のため断れるはずもなく、渋々中宮彰子のサロンへ入所します。そして出仕当日から、先輩女房のツンツン光線を浴び、ムシムシ光線、ジロジロ攻撃に耐えきれず、5か月後、精神的にも肉体的にも社会対応できずに、ついに紫式部由里子は実家にひきこもった。
平安のネガティブ・センシティブ:紫式部…実家にひきこもる
ひきこもり始まる
紫式部が実家に引きこもったのは、寛弘6年(1009年)のことです。彼女は当時、藤原道長の娘である彰子に仕えていましたが、彰子が一条天皇の寵愛を失って宮中から追放されたことにショックを受けました。紫式部は彰子に深く恩義を感じており、彼女の不遇に心を痛めました。また、夫である藤原実資との不仲や宮中での嫌がらせも彼女の心を苦しめました。このような状況により、紫式部は精神的に病んでしまい、半年間もの間、実家に引きこもってしまいました。しかし、その引きこもり生活の中で、彼女は「源氏物語」の執筆を続けました。
「源氏物語」は、紫式部にとって心の支えとなりました。紫式部は自身の傷を癒すために、執筆を通じて自己表現を行いました。特に、「空蝉の巻」という章では、主人公の光源氏が失意のどん底に落ち込む様子が描かれています。光源氏が愛する紫の上が死去し、彼はその悲しみから引きこもります。しかし、光源氏は自分自身を見つめ直し、仏教の教えに帰依して再起を図ります。紫式部はこの章を通じて、自身の置かれた境遇と光源氏の境遇を重ね合わせ、自己の心の救いを求めたのかもしれません。
宮中に復帰する
寛弘7年(1010年)、紫式部は精神的に回復し、実家から宮中に復帰しました。彼女は再び彰子に仕え、彰子の復権にも貢献しました。紫式部は「源氏物語」を通じて、自身の感情や思想を表現することができたことで、心の平安を取り戻しました。
「源氏物語」は紫式部の代表作であり、日本文学の中でも特に重要な位置を占めています。彼女の作品は、当時の日本の文化や社会の一端を伝えるだけでなく、彼女自身の個人的な経験や感情も反映されています。紫式部の才能と創造力は、平安時代のエレガントさと繊細さを凄艶に表現しています。
ひきこり中に覚醒:社会順応型フレンドリーまひろにバージョンアップ
約五か月間の自己改造を経て、紫式部は家族を養うため、社会に順応するために、1,000年前の淑女最高の頭脳と学力を駆使して新しいニュースタイルのバイオ式部に自らを自己改造することに成功したと推測できます。
社会不適合によるひきこもり状態であった半年間に、平安時代のミラクガール紫式部は、現代風に言うと以下の13項目を自らの頭脳と精神にメンテナンスを実行してバイオニック紫式部として宮内にカンバックすることに成功します。
平安時代のインシブルウーマン 紫式部が改造手術で宮中に復帰した保守計画
- デフラグ(暗い過去を整理)
- ディスククリーンアップ(精神的余裕をGET)
- ディスクエラー解析を実施(社会不適合性を解析し、フィードバック)
- データアクセス速度UP(賢妻な妻力と賢女力UP)
- ディスク容量UP(精神のゆとりUP)
- CPU交換(応答性UP)
- メモリーUPで性能UP(検索能力UP)
- 過去データを解析(私失敗しませんので機能UP)
- エラー修復(被害妄想、人見知り、人目を気にする内気な性格を緩和)
- 個別専用ソフト上書き(新しい前向きな性格を獲得)
- 新規インストール(正しい男女交際力を新規挿入)
- 試運転(ちょっとしてみる感度良好)
- 微調整(いい感じでバストアップ)
- サイクル運転(いけそう)
- FMEA(とりあえず不良・故障モード解析完了)
- デザインデビュー(リスタート宮中業務内容の最終確認)
次回に続く:バージョンアップした紫式部が宮中でほっこりとスタートアップ
こうして賢い紫式部「まひろ」は、引きこもり中に「自己嫌悪と人間関係、人として、女として、母として」様々なことを自己分析して、社会対応した古典文学博士として文献を多く残しました。そんな彼女を3回に分けて紹介します。今回はその第1回目です。また見てね!