NHK大河ドラマ『光る君へ』吉高由里子と紫式部 ファーストサマーウイカと清少納言

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紫式部と清少納言は、平安時代という男性優位の社会で、女性として類い稀な地位を築きました。当時の女性は、多くの場合、教育を受ける機会が限られており、公的な役割を担うことはほとんどありませんでした。しかし、彼女たちは、宮廷内での役割や文学における才能によって、例外的な存在となりました。彼女たちの成功は、当時の女性の地位や能力に対する一般的な見方に挑戦するものでした。

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ウイカと清少納言
出典元:スポニチAnnex
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目次

はじめに

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今回は、2024年に放送されるNHK大河ドラマ『光る君へ』に出演するファーストサマーウイカさんが演じる清少納言について、その人となりや作品について紹介したいと思います。清少納言は、歌人・清原元輔の娘で、才気煥発な女性。一条天皇に入内した定子のもとに女房として出仕し、心からの忠誠を尽くす。清少納言が執筆した「枕草子」は紫式部や道長にも影響を与えることになります。また、百人一首にも清少納言の歌が3首収録されています。それでは、ファーストサマーウイカさんと清少納言の関係や、清少納言の百人一首について見ていきましょう。

ファーストサマーウイカさんと清少納言の関係

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ァーストサマーウイカさんは、タレントや女優として活躍する人気者です。NHK大河ドラマに出演するのは初めてで、清少納言役に抜擢されました。

ファーストサマーウイカさんは、清少納言の印象について「聡明で勝気、あけすけだけどウィットに富んだ辛口ブロガーの第一人者」と語っています。日常のあるあるネタや女の愚痴をおもしろおかしく描く一方で、繊細で愛情深い一面もあり、とても1000年も前の人とは思えないほど、親近感のわく、人間味のある魅力的な女性だと感じているそうです。

また、紫式部との関係性や定子への敬慕の念や私生活など、謎多き部分もどう描かれるのか今から楽しみだと話しています。ファーストサマーウイカさんは、時代劇に出るためにピアスを開けなかったというこだわりも持っており、清少納言になりきるために準備をしていることが伺えます。

ウイカと清少納言
出典元:nifty news

清少納言の百人一首

 清少納言は、歌人としても優れており、百人一首に収録されている彼女の歌からランダムにチョイスした三首をそれぞれの歌の意味や背景について解説していきます。

五十八番 「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」                          この歌は、清少納言が定子のもとに出仕する前に、恋人と別れたことを嘆いている歌です。恋人にはまだ自分の名前を告げていないのに、別れてしまったという悲しみが込められています。人に知られないように、ひそかに恋心を抱いていたのに、それも報われなかったという無念さが感じられます。

六十一番 「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」          この歌は、清少納言が定子のもとに出仕した後に、恋人との再会を願っている歌です。わたの原は、瀬戸内海のことで、八十島はその中にある島々のことです。清少納言は、恋人に会いたくて、海を渡ろうとする気持ちを表現しています。しかし、それは危険なことなので、人には告げておかなければならないという思いもあります。海人の釣舟は、海で暮らす人々の小舟のことで、清少納言は自分をそう例えています。

六十九番 「よもの海 よみ人も知らぬ くらやみに きり立つしらし ほととぎす」        この歌は、清少納言が定子の死後に、孤独と悲しみに暮れている歌です。よもの海は、この世の海のことで、よみ人は死者のことです。くらやみは、暗闇のことで、清少納言の心境を表しています。きり立つしらしは、霧に立つ白いもののことで、定子の霊を示しています。ほととぎすは、時鳥のことで、清少納言の声を示しています。清少納言は、この世とあの世の間にあるような、誰にも知られない暗い場所で、定子の霊に呼びかけているという情景を描いています。

ファーストサマーウイカさんが演じる清少納言について、その人となりや作品について紹介してみました。

清少納言は、平安時代の女性として、自由奔放で才能あふれる人物でした。

彼女の歌や随筆は、今でも多くの人々に愛されています。2024年の大河ドラマ『光る君へ』では、紫式部との関係や定子との友情など、清少納言の魅力がどのように描かれるのか、楽しみにしています。ファーストサマーウイカさんの清少納言も、見逃せませんね。

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紫式部と清少納言の関係は?平安時代の女流作家の共通点と相違点

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紫式部と清少納言は、平安時代中期に活躍した女流作家であり、『源氏物語』や『枕草子』という日本文学の名作を残しました。しかし、2人は宮仕えしていた時期や仕えていた主君が異なり、直接的な面識はなかったとされています。それでも、2人は同時代の女性として、共通点や相違点を持っていました。この記事では、紫式部と清少納言の関係について、その共通点と相違点を見ていきます。

共通点:平安宮廷に仕えたキャリアウーマン

紫式部と清少納言の最大の共通点は、平安宮廷に仕えたキャリアウーマンであったことです。2人はともに中堅貴族の家に生まれ、父親は有名な歌人や文学者でした。幼いころから聡明で才気に溢れた女性に育ちました。結婚して子どもをもうけましたが、早くに死別または離別し、その後、一条天皇の后に女房として仕えることになりました。

紫式部は、藤原道長の娘で一条天皇の中宮彰子に仕えました。彰子は、紫式部の書いた『源氏物語』を気に入り、自分の女房に迎えたといわれています。紫式部は、彰子の出産や病気などを支えるとともに、『源氏物語』を完成させ、『紫式部日記』も残しました。

清少納言は、一条天皇の前中宮定子に仕えました。定子は、清少納言の漢詩の才能を高く評価し、自分の女房にしたといわれています。清少納言は、定子の皇子の出産や死などを見守るとともに、『枕草子』を書き始めました。定子が若くして亡くなった後は宮中を去り、『枕草子』を書き上げました。

2人は、宮中での仕事や生活を通じて、多くの見聞や感動を得ました。その経験をもとに、それぞれの作品を創り出しました。2人の作品は、女房文学の代表として、日本文学史に大きな影響を与えました。

相違点:性格は正反対だった

紫式部と清少納言の最大の相違点は、性格です。2人は、性格が正反対だったといっても過言ではありません。

紫式部は、内気で控えめな性格でした。宮仕えにも消極的で、目立たないように振る舞っていました。漢字も知らないふりをして周囲に溶け込もうとする奥ゆかしい性格だったといわれています。ただし、目立ちたくないけど評価してほしいと日記に書くなど、負けず嫌いな一面もありました。

清少納言は、快活で社交的な性格でした。宮仕えにも積極的で、貴族たちと積極的に交流して機知に富んだ会話を楽しみました。得意の漢詩の知識を披露し、賞賛を受けました。時には貴族をやりこめるなど、勝ち気な性格でもありました。

この性格の違いは、2人の作品にも表れました。紫式部の『源氏物語』は、心情的な「もののあはれ」を軸に、人の内面までも描いた壮大な物語です。一方の清少納言の『枕草子』は、瞬間的に感動や気づきをとらえた「をかし」の感覚を軸に、軽妙な文体でつづったエッセイです。ある意味、正反対の作風といえます。

関係1:直接的な面識はなかったが、紫式部が一方的にライバル視していた

紫式部と清少納言は、同時代の女性として、共通点や相違点を持っていましたが、直接的な面識はなかったとされています。なぜなら、2人が宮仕えした時期が異なるからです。

清少納言は、993年ごろから定子に仕え、定子が亡くなった1000年ごろに宮中を去りました。一方の紫式部は、1006年ごろから彰子に仕え始めました。つまり、清少納言が宮中を去ってから数年後に紫式部が宮仕えを始めているため、2人が宮中で出会うことはなかったのです。

しかし、紫式部は清少納言に対して、一方的にライバル視していた可能性があります。その理由は、以下のようなものが考えられます。

清少納言と定子たちの思い出が男性貴族の間で語り草になっていた。紫式部は、自分たちが後任のような立場で、常に比較されることに不満を感じていた。

『枕草子』から伝わる清少納言の性格が紫式部とは根本的に違っていた。紫式部は、清少納言の知的で明るく振る舞う様子に嫌悪感を覚えていた。

『紫式部日記』に清少納言を酷評している箇所がある。紫式部は、清少納言の漢詩の才能や人気を妬んでいた。

紫式部の清少納言評は、以下のようなものです。

清少納言は全く得意顔をして、ひどかった人、あれほどりこうぶって、漢字を書きちらしておりますところも、よく見ると、まだひどく未熟な点が多い。このように人とは違ったところを見せようと思ってむきになっている人は、必ず見劣りがして、将来は悪くなるばかりですわ。気取る癖のついてしまった人は、ひどく殺風景なつまらないときにも、やはり気取っているのでしょう。そういう人は、どうしても自分のことをよく見せようとして、他人のことを悪く言うのです。それが、清少納言の癖なのです

紫式部は、清少納言のことを「したり顔にいみじう侍りける人」と表現していますが、これは「得意顔で偉そうにしている人」という意味です。紫式部は、清少納言の態度や言動に不快感を抱いていたのは間違いないようです。

関係2:清少納言は、ガン無視!我関せず 

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一方の清少納言は、紫式部に対して特に批判的な態度を示していないようです。『枕草子』には、紫式部の名前や作品に関する言及はありません。ただし、紫式部の夫である藤原宣孝の服装を馬鹿にしたことがあったという話もあります。『枕草子』の中には、以下のような記述があります。

ある人の、いとあらぬ色の衣を着て、いとあらぬ色の帯をしめて、いとあらぬ色の馬に乗って、いとあらぬ色の鞍をかけて、いとあらぬ色の鞭を持って、いとあらぬ色の笠をかぶって、いとあらぬ色の鼻紙をさして、いとあらぬ色の扇を持って、いとあらぬ色の靴をはいて、いとあらぬ色の袋をさげて、いとあらぬ色の矢を持って、いとあらぬ色の弓を持って、いとあらぬ色の鏑矢を持って、いとあらぬ色の弓袋をさげて、いとあらぬ色の鞘をさげて、いとあらぬ色の刀をさげて、いとあらぬ色の髪飾りをつけて、いとあらぬ色の髪結いをして、いとあらぬ色の髭を生やして、いとあらぬ色の眉を描いて、いとあらぬ色の口紅を塗って、いとあらぬ色の頬紅を塗って、いとあらぬ色の目をして、いとあらぬ色の顔をして、いとあらぬ色の声をして、いとあらぬ色の言葉を言って、いとあらぬ色の歌を歌って、いとあらぬ色の笑い方をして、いとあらぬ色の泣き方をして、いとあらぬ色の歩き方をして、いとあらぬ色の立ち方をして、いとあらぬ色の座り方をして、いとあらぬ色の寝方をして、いとあらぬ色の食べ方をして、いとあらぬ色の飲み方をして、いとあらぬ色の遊び方をして、いとあらぬ色の仕事をして、いとあらぬ色の人と付き合って、いとあらぬ色の人と恋をして、いとあらぬ色の人と結婚して、いとあらぬ色の人と子どもを作って、いとあらぬ色の人と暮らして、いとあらぬ色の人と死んでいくという人がありました。

この人物は、藤原宣孝だという説があります。藤原宣孝は、紫式部の夫であり、紫式部の『源氏物語』のモデルとなった光源氏のモデルでもあります。彼は、色とりどりの服装や装飾品を好んで身につけていたことで知られています。

清少納言は、彼の姿を見て、いとあらぬ色という言葉を繰り返して、皮肉を込めて描写しているのです。これは、紫式部の夫を嘲笑するとともに、紫式部の作品を批判するという意図があったのかもしれません。

人の旦那をここまで罵倒するとは…さすがファーストサマーウイカ?じゃなかった清少納言ウイカですね!

『おわりに』勝つのはどっちだ!ファーストサマーウイカと吉高由里子

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以上、紫式部と清少納言の関係について、その共通点と相違点を見てきました。2人は、平安時代の女性として、自由奔放で才能あふれる人物でしたが、性格や作風は正反対でした。2人が直接的に面識がなかったとしても、間接的に影響し合っていたことは間違いありません。

紫式部は、清少納言を一方的にライバル視していたようですが、清少納言は、紫式部に対して特に批判的な態度を示していないようです。しかし、紫式部の夫を馬鹿にしたことがあったという話もあります。

2人の関係は、複雑で興味深いものでした。2024年の大河ドラマ『光る君へ』では、紫式部と清少納言の関係がどのように描かれるのか、注目したいと思います。ファーストサマーウイカさんの清少納言も、見逃せませんね。

大河ドラマ『光る君へ』の文化的意義

NHKの大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部と清少納言という二人の歴史的な女性を通じて、平安時代の日本を再現します。このドラマは、彼女たちの個性や作品だけでなく、当時の社会や文化、政治の背景にも光を当てることで、視聴者に当時の世界を体験させる機会を提供します。

また、現代の女優が演じることで、古代と現代の女性の姿を結びつけ、新たな視点から紫式部と清少納言を理解する手助けとなるでしょう。紫式部と清少納言の物語は、単なる歴史的なエピソードに留まらず、現代においてもなお新鮮で刺激的なテーマを提供します。

『光る君へ』は、これらの女性作家の生きた時代を蘇らせ、彼女たちの作品の美しさと深さを再評価する機会を提供することでしょう。彼女たちの戦いは、1000年を超えて今も私たちの心を動かし続けています。

この大河ドラマが、紫式部と清少納言の遺した文学的遺産を新たな視点で捉え直し、彼女たちの精神性や文化的背景を深く理解する手がかりとなることを願っています。

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