“大麻の影響:日大アメフト部、栄光のフェニックス、もう一度羽ばたけ”

日大再犯
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日大アメフト部の薬物事件とその背景

日本大学アメリカンフットボール部(以下、日大アメフト部)が薬物事件に揺れている。今年7月から10月にかけて、部員2人が麻薬特例法違反の疑いで逮捕されたほか、9人の部員が警察から任意聴取を受けたことが明らかになった。この事件は、日大アメフト部だけでなく、日本のスポーツ界や教育界にも衝撃を与えた。日大アメフト部は、かつては名門と呼ばれ、多くの優秀な選手や指導者を輩出してきたチームだった。しかし、その名声と伝統を汚し、自らの信用と将来を棄てたのである。

このブログでは、日大アメフト部の薬物事件の発端と経緯、逮捕された学生や関係者の対応、事件が及ぼした影響や反応、事件から学ぶべき教訓や課題などについて考察していきたい。

日大アメフト部の応援

今回のアメフト部の薬物事件の発端

今回の日大アメフト部の薬物事件は、7月21日に発覚した。この日、日大側が中野区にあるアメフト部の寮で違法薬物らしきものを発見し、警察に通報した。警視庁は現場検証を行い、乾燥大麻約0.5グラムと覚醒剤約0.1グラムを押収した。その後、寮で暮らしていた3年生の北畠成文被告(21)が違法薬物を所持していた疑いで逮捕された。

北畠被告は「自分で使うために持っていた」と供述し、「他の部員も使っていた」という趣旨の発言もしたという。このことから警視庁は8月9日に再び寮を捜索し、スマートフォンなどを押収した。その結果、同じ寮で暮らしていた4年生の現役部員が今年都内で密売人から大麻とみられる違法薬物を購入していた疑いで10月16日に逮捕された 。

また警視庁は9月13日までに、大麻所持などに関与した疑いがある別の部員4人を任意聴取したことも明らかにした 。さらに10月17日までに、現時点で9人の現役部員について、日大側が警視庁から任意聴取などの依頼を受けており、違法薬物に関与した可能性がないか調べていることも分かった 。

Nihon University Football Club

逮捕された学生について

逮捕された北畠被告と4年生の部員は、どのような人物だったのだろうか。北畠被告は、日大アメフト部の主力選手として活躍していた。昨年の関東学生アメリカンフットボール連盟(関東連盟)のリーグ戦では、チーム最多の5タッチダウンを挙げ、チームの甲子園ボウル出場に貢献した 。また、今年の春季リーグ戦でも、チーム2位の3タッチダウンを記録し、チームの優勝に貢献した 。その一方で、北畠被告は学業成績が低く、卒業が危ぶまれていたという 。

4年生の部員は、昨年度まで北畠被告と同じ部屋で生活していたという5 。今年の春季リーグ戦では、1試合に出場したがタッチダウンはなかった 。4年生の部員は、今年3月に大麻を購入した際に密売人から「これは大麻だ」と言われたが、「大麻は合法化されている国もあるから」と思って使ってしまったと供述しているという 。

林理事長、学長。副学長の対応

日大アメフト部の薬物事件に対する日大側の対応は、批判を浴びている。事件発覚後、日大は8月2日に記者会見を開き、林正道理事長(元最高裁判所判事)が謝罪したが、その内容や態度に不信感や不満が噴出した。林理事長は、「個人の犯罪」と判断したことや、違法薬物らしきものを発見してから警察に連絡するまで12日間を要したことについては、「(大学の対応は)適切だった」「隠ぺいと言われることは非常に遺憾」と問題がなかったと強調した 。また、中村敏英監督や関係者らが会見に出席しなかったことや、質問に答えなかったことも批判された 。

その後、日大は9月1日に再度記者会見を開き、今度は中村監督や関係者らも出席した。しかし、この会見でも日大側の対応は不十分だった。中村監督は、「自分自身もショックを受けています」と話したが、「部員全員に薬物検査を実施する予定はない」と述べた 。また、関係者らも「薬物使用の有害性・危険性・反社会性」を教育していなかったことや、「部員間で薬物使用が広がっていることに全く気が付かかなかったと陳謝した。

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事件が及ぼした影響や反応

日大アメフト部の薬物事件は、日本のスポーツ界や教育界に大きな影響や反応をもたらした。まず、日大アメフト部は、関東学生アメリカンフットボール連盟(関東連盟)から無期限活動停止処分を受けた 。これにより、今年の秋季リーグ戦への出場ができなくなり、甲子園ボウル出場も絶望的となった。また、日大側も9月1日に部員全員を無期限停学処分とし、部の寮も閉鎖した 。

次に、日本アメリカンフットボール協会の寺田昌弘会長は、事件について「痛恨の極みだ」とコメントし、「競技のイメージ改善を真剣に考えないといけない」と危機感をあらわにした 。寺田会長は、2028年ロサンゼルス五輪で正式種目として実施されることが決定したフラッグフットボール(アメフトから身体的接触を取り除いた競技)が「アメフト界のいいイメージの材料になると思う」と期待を寄せたが、それでも「引き続き警察の捜査に全面的に協力し、大学をあげて原因究明と再発防止に向けて全力で取り組んでまいります」と述べた 。

さらに、日大アメフト部の薬物事件は、一般の人々やメディアからも厳しい声が上がった。日大に通う学生からは「多くの人が真面目に頑張っているのに、こうしたことがあると台なしになってしまう」「大学は本来、勉強する場所なので、こういったことはなくなってほしいと思う」と不満や不信感が聞かれた 。メディアからは「個人の犯罪」と判断した日大側の対応や、「部員全員に薬物検査を実施する予定はない」と述べた中村監督の発言が批判された 。

翼を折られたフェニックス

日大アメフト部は、「フェニックス」という愛称で知られている。フェニックスとは、ギリシャ神話に登場する不死鳥であり、火災や災害などで死んでも自ら灰から再生するという伝説がある。日大アメフト部は、その名にふさわしく、過去に何度も苦難を乗り越えてきたチームだった。

日大アメフト部は、1934年に創部されて以来、甲子園ボウルで21回優勝するなど、日本のアメフト界を牽引してきた名門チームである。しかし、その歴史には暗い時代もあった。1960年代には、部員の減少や成績不振により、一時は廃部の危機に陥った。しかし、部員たちは諦めずに練習に励み、1970年には甲子園ボウルで優勝するという奇跡を起こした。このときから、日大アメフト部は「フェニックス」と呼ばれるようになった。

その後も、日大アメフト部は、甲子園ボウルで優勝するなど、日本のアメフト界のトップチームとして君臨してきた。しかし、2018年には、悪質タックル問題が発覚し、関東連盟から無期限活動停止処分を受けた。この事件は、日本のスポーツ界に衝撃を与えた。日大アメフト部は、監督やコーチの責任を問われるとともに、チームの再建に向けて苦闘した。

2020年には、関東連盟から活動停止処分が解除され、春季リーグ戦で優勝し、甲子園ボウル出場を果たした。このときも、日大アメフト部は「フェニックス」と呼ばれるようになった。しかし、その翼は再び折られてしまった。

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もう一度羽ばたけ栄光の日大アメフト部フェニックス

日大アメフト部の薬物事件は、日本のスポーツ界や教育界に大きな衝撃や失望をもたらした。日大アメフト部は、かつては名門と呼ばれ、多くの優秀な選手や指導者を輩出してきたチームだった。しかし、その名声と伝統を汚し、自らの信用と将来を棄てたのである。

日大アメフト部は、何を考えていたのだろうか。何が彼らを薬物に走らせたのだろうか。彼らは、自分たちがスポーツマンであることを忘れてしまったのだろうか。彼らは、自分たちが日本大学の学生であることを恥じていなかったのだろうか。彼らは、自分たちが社会の一員であることを意識していなかったのだろうか。

日大アメフト部は、薬物事件に関与した部員だけでなく、部全体として責任を取るべきである。部内で薬物がまん延していたことは、監督やコーチ、先輩や後輩、仲間や友人が見て見ぬふりをした結果である。部内で薬物が使用されていることに気づいても、止めることも報告することもしなかったことは、卑怯で臆病で卑劣である。

フェニックスのメンバーは、今こそもう一度羽ばたいてほしい。がんばれ!

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