満洲アヘンスクワッド 青幇、岸信介、甘粕正彦、里見甫、アヘン密売・密輸

アヘンの国
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序章

このブログでは、満州国でアヘン密売・密輸に関わった二人の日本人政治家・官僚について紹介します。 彼らは岸信介、甘粕正彦、佐藤栄作です。 岸信介は満州国総務庁長官として満州国の経済建設に尽力しましたが、その裏で甘粕正彦と結託してアヘン取引を行っていました。

甘粕正彦は元憲兵大尉であり、関東大震災で無政府主義者の大杉栄らを殺害したことで知られています。満州では関東軍特務機関長や満州国内務部長などを歴任、「影の皇帝」と呼ばれる権力を持っていました。 佐藤栄作は岸信介の部下として満州国総務庁に勤務し、後に内閣総理大臣となりましたが、その間も岸や甘粕と連携してアヘン問題に関与していました。

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目次

はじめに

満州国は、日本が中国の北東部に建てた傀儡国家ながら、アヘンの生産と販売で巨万の富を得ていました。その裏には、日本の政治家や軍人が暗躍していました。岸信介や甘粕正彦は、満州国のアヘン組織を利用して、自分たちの野望や利益を追求していました。彼らは、アヘンを中国や東南アジアに売りさばき、その資金で日本の戦争や復興を支えていました。また、彼らは、戦後もアヘンの資金をCIAに提供し、日本の政治に影響力を持ち続けていました。満州という地域は、日本の近代史において重要な役割を果たしました

1905年の日露戦争で日本が勝利した後、日本は満州に進出し、関東軍を駐留させました。 1931年には満州事変を起こし、1932年には満州国という傀儡国家を建設しました。満州国は日本の植民地政策の実験場となり、多くの日本人が移住し、工業化や開発が進められました。 しかし、満州国は国際社会から承認されず、中国やソ連などの反対に遭いました。また、満州国の経済は不安定で、アヘンという違法な商品に依存していました。 アヘンは満州国の財政を支えるだけでなく、関東軍や陸軍の機密費や特務工作の資金源にもなっていました。二人はどのようにしてアヘン密売・密輸に手を染めたのか? その目的や方法、影響や結果は何だったのか?

彼らは戦後どうなったのか? これらの疑問に答えるために、次の章から彼らの人生と行動を追ってみましょう。

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岸信介と甘粕正彦の出会い

岸信介と甘粕正彦は、満州事変の直後の1931年11月に満州に赴任したときに初めて出会いました。岸は当時、大蔵省の官僚であり、満州国総務庁長官に任命されました。 甘粕は元憲兵大尉であり、関東軍特務機関長に就任しました。 二人は満州国政府の要職にあったため、頻繁に接触するようになりました。 岸は甘粕のことを「鬼憲兵」と呼んで恐れていましたが、同時にその能力や人脈を利用することを考えました。

甘粕は岸のことを「愚直官僚」と見下していましたが、徐々にその知識や経験を信頼することをなります。二人が共通して持っていたのは、満州国の経済建設と日本のアジア進出の野心でした。 岸は満州国を日本の生命線として重視し、工業化やインフラ整備、農業開発などを推進しました。 甘粕は満州国を日本の拠点として重視し、華北や蒙古などへの進出や工作を展開しました。 しかし、彼らの目的を達成するためには、巨額の資金が必要でした。 そこで彼らは目をつけたのが、アヘンでした。

アヘン密売・密輸の仕組み

アヘンはケシから採取される麻薬であり、中国では古くから医療や嗜好品として使われていましたしかし、19世紀にイギリスが中国に大量に輸入し、中国人を中毒に陥れることで利益を得るようになりました。 これがアヘン戦争の原因となり、中国はイギリスや日本などの列強に屈服することになりました。その後も中国ではアヘンが流通し続け、国民の健康や経済に深刻な影響を与えました。満州では日本が支配するようになってからもアヘンが問題となりました。 満州国政府は公式にはアヘン禁止政策を行っていますが、実際はアヘンを使って財政や工作を支えていました。 アヘン密売・密輸の仕組みは以下のようなものでした。

  • 満州国政府は満州や蒙古などでケシ栽培を奨励し、農民から安価で買上げた。
  • 満州国政府はペルシャやトルコなどからも大量のアヘンを密輸入した。
  • 満州国政府は自ら製造したアヘン工場でアヘンを加工し、高価で中国や朝鮮へ密輸出した。
  • 満州国政府はアヘンの売上金を満州国の財政や関東軍の機密費に充てました。 また、アヘンを工作員や協力者に渡して、中国やソ連などの情報や影響力を得ることもしました。
  • 満州国政府はアヘンの密売・密輸を管理するために、甘粕正彦が率いる満州国内務部や関東軍特務機関などの組織を利用しました。 これらの組織は暴力や脅迫などの手段でアヘンの流通をコントロールし、反対者や競合者を排除した。
  • 満州国政府はアヘンの密売・密輸に関与していることを隠すために、表向きはアヘン禁止運動やアヘン廃棄計画などを実施しました。 しかし、これらの活動はほとんど効果がなく、むしろアヘンの需要や価格を高めることになった。

このようにして、岸信介と甘粕正彦は満州国でアヘン密売・密輸の巨大なビジネスを築き上げました。その規模は年間数百万円から数千万円にも及び、満州国の経済や政治に大きな影響を与えました。 しかし、彼らの行為は日本本国や国際社会から批判されることもありました。 特に1936年には日本が国際連盟から脱退した後、日本はアヘン禁止条約にも反対する立場を取りました。 これにより日本は世界から孤立することになり、満州国も同様に孤立することになりました。

里見甫の参入

アヘン密売は、満州国で実施された違法なビジネスで、日本の政治家や官僚もその中心人物の一部でした。この中でも、岸信介や里見甫といった人物は、アヘンの密売に関与した可能性が高いとされています。岸信介は満州国の総務庁次長として、甘粕正彦の特務工作に一千万円を手渡したという証言があります。また、里見甫は上海の「阿片王」と呼ばれ、満州国や中国各地でアヘンの密売を行っていたとされます。

岸信介と里見甫は、満州国の財政や軍事に大きな影響力を持っており、彼らが関与したアヘン密売の規模はアジア全土に広がるほど大きかったとされています。特に里見甫は、アヘン密売においては中心人物の一人であり、その影響力は満州国だけでなく中国全土にまで及んでいたとされています。

「アヘン王」と呼ばれた里見甫は、陸軍の特務機関員です。上海を拠点にして秘密結社青幇とも精力的にアヘン取引を仲介してたと言われています。ただし、彼らが、直接的な関与を裏付ける明確な証拠は見つかっていません。しかし、満州国ではアヘンが資金源であったことから、彼らがアヘン密売に関与した可能性は否定できません。アヘン密売は、その巨大な利益によって、満州国の経済や政治に大きな影響を与えました。

彼らは、国際社会からも批判されましたが、彼らは用意周到で尻尾をつかまれることはありませんでした。岸はアメリカに対して具体的な”工作”を行い、戦犯起訴を免れたと言われています。それが、アヘン取引で得た豊富な資金であった可能性が高いと言われています。

岸が残した言葉

岸信介を「政治家」として「成長」させた最大の要因は、関東軍という最高権力者をあるいは懐柔し、あるいは説得しつつ、絶大な権力をわがものにする術を身につけさせた、満洲の権力機構そのものにあります。その後、満洲から去る際に有名な言葉を残している。

「政治資金は濾過機を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過機が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから関わり合いにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」

出典元:岸信介

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