はじまりの始まり
河童の故郷:パミール山地の一渓水、タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド川の源流付近
河童の先祖は、とても遠いところに住んでいました。パミール山地の一渓、ユーラシアの北東部、中央アジア新琵省タクラマカン砂漠を流れるヤルカンド川の源流に住んでいました。。気候はとても寒く、食糧も少なかったので生活はとても困難でしたが、ある年から干ばつが続き、わずかな水源も失せて餓死する河童が相次いだことから、河童帝国の初代皇帝の水童帝は、寒さと飢えから河童一族を守るため、河童一族を二班に分け、一族の存亡を賭けて二人の河童大将軍に河童一族の大移動と将来の繁栄を指示しました。
水童帝が選んだ二人の大将軍は、それぞれ東と西に向かって河童たちを率いました。東の将軍は、支那大陸を横断して、日本列島にたどり着きました。そこで、河童たちは日本の文化や風習に触れて、自分たちの生活を豊かにしました。
西の将軍は、パミール山地を越えて、美しき青きドナウ川を渡り、欧州や中東に渡りました。そこで、河童たちは人間の文明や科学に学んで、自分たちの知識を増やしました。水童帝は、河童たちが世界中に広がって、幸せに暮らしていることを知って、心から喜びました。そして、河童王国の歴史は、新たな章を開いたのでした。🐸
欧州:【第一班】大将 貘斉坊(ばくさいぼう)率いる四千の河童たち
一班は、貘斉坊(ばくさいぼう)という大将が率いて、四千の河童たちが、欧州へ向かいました。美しき青きドナウ川を渡り、ハンガリーフタペストに着いて、そこを拠点に欧州へ広く分布しましたが、少しずつ減少していきました。河童が欧州で姿を消した理由は、はっきりとは分かりませんが、いくつかの可能性が考えられます。
欧州では河童は、水の妖精や精霊として容姿や能力を欧州風にアレンジして伝えられているものが多くあります。日本では、河童は日本の水神信仰や相撲の伝統などと深く関係していますが、欧州ではケルト神話、ギリシャ神話、バビロニア神話、ケルト神話などに水河童改め水棲系守護天使のような存在で伝えられています。
河童の激減理由
- 気候の変化によって、河童が住める水域が減少した。
- 人間の文明の発展によって、河童が人間との接触を避けるようになった。
- 河童の生態や習性が欧州の伝承や文化と合わなかった。
- 河童の存在を信じる人々が減少したので、河童が別種へ進化していった。
貘斉坊(ばくさいぼう)率いる四千の河童たちの末裔は今?
今では貘斉坊(ばくさいぼう)率いる四千の河童たち末裔はほとんど見られなくなりました。
一体、どうしてなのでしょうか?欧州の河童は、日本の河童とは違って、猿のような姿をしていて変身能力も備わっていました。その姿は、中国から伝わった水の神様の子孫だと言われています。
欧州河童は、水の神様の力を受け継いで、水の中に長く潜ったり、水の流れを操ったりできました。でも、その力は水がある限りしか使えませんでした。
欧州河童は、人間と仲良く暮らしていた時代もあります。人間に水の恵みを与えたり、水の災害を防いだりしました。人間も河童に感謝して、お供え物をしたり、友好的に接しました。
しかし、時代が変わって、人間の文明が発展すると、河童の暮らしは苦しくなりました。人間は水を汚したり、水を使いすぎたりしました。河童の住む水域はだんだん減っていきました。
河童は水がないと力が出なくなるので、生きるのが難しくなりました。河童は人間に助けを求めましたが、人間は河童のことを忘れてしまっていました。河童は人間に追い出されたり、捕まえられたりしました。
河童は生き残るために、欧州の神々の力を借りて、人間に同化出来る能力を手にしました。河童はシダの葉で頭をなでると人間になれると言われています。河童はシダの葉を探しましたが、シダの葉も人間に刈り取られていました。河童はやっと見つけたシダの葉で頭をなでましたが、人間になれませんでした。
河童は気づきました。河童はもう河童ではなくなっていたのです。河童は人間になりきれないまま、人間の中に紛れ込みました。河童は人間の言葉を覚え、河童の言葉を失念しました。河童は人間の仕事を覚え、人間の文化を学び、人間の歴史を知りましたが、やがて河童の歴史を忘れました。
時々、河童は仲間に会いたくなりますが、河童がいなくなっていました。河童は涙を流しましたが、涙が乾いていました。欧州の河童は人間型と水棲型守護天使に分岐して今も欧州で生き抜いています。
日本:【第二班】九千坊(きゅうせんぼう)率いる三千の河童たち
二班は、九千坊(きゅうせんぼう)という大将が率いて、三千の河童たちが、中国の大河である黄河経由黄海ルートと揚子江経由東シナ海ルートの二手に分かれた後に日本海で合流して、九州の八代(熊本県八代市)に上陸しました。
約1600年前の『伝承の時代(古墳時代、西暦四〇〇年頃』の仁徳天皇(仁徳天皇陵で著名な第一〇代天皇)が治世の時代のことです。九千坊の班員は、球磨川を拠点に九州全域に分布域を広げました。
その後、水神様が平城京にお祀りされたので、九千坊のグループも都に移りました。でも、河童たちはいたずら好きで、困らせることが多かったので、九千坊に追い出された河童たちも多数いました。彼らは、日本中の河川に散らばりました。
九千坊(きゅうせんぼう)率いる三千の河童たちは、欧州に渡った貘斉坊(ばくさいぼう)とは、容姿も変わっていました。緑の皮膚と甲羅があり、水棲生活に最も適したヒューマノイド型でした。
ただし、性格が大きく大別していて、温厚で大人しい草食系部族とヤンチャな肉食系部族に分岐していて仲間割れが絶えません。そのため日本へ渡る際も、黄河・黄海ルートと揚子江・東シナ海ルートに分かれて移動してきたほどです。しかし別種の種族ではないので徐々に混血していき、日本では混血種が主流になっていきましたが、ヤンチャな肉食系種族は、人間に淘汰され激減したようです。
九千坊(きゅうせんぼう)率いる3千の河童たちの末裔は今?
九千坊の末裔であるヒューマノイド型の河童たちは、今もわずかながら温厚で大人しい草食系部族と混血種族が日本各地で生息しています。肉食系部族は、ほぼ人間の手により淘汰された模様です。
河童は人間と仲良くすることもあれば、悪さをすることもあります。河童の特徴は、頭の上に皿があって、そこに水を溜めていることです。河童は皿の水が乾くと力を失うので、水辺から離れることができません。
日本で河童が姿を見かけなくなった理由は、いくつか考えられます。一つは、人間の生活や工業化によって、河童の住む水辺が汚染されたり減少したりしたことです。
河童はきれいな水が好きなので、生活しにくくなったのでしょう。もう一つは、人間の文化や科学が発展して、河童の存在を信じなくなったことです。
河童は人間の想像力や恐怖心から生まれた妖怪とも言われています。人間が河童に興味を持たなくなったら、河童も消えてしまったのかもしれません。
しかし、日本各地にはまだ河童の伝説や目撃談が残っています。河童はひそかに生き残っているのでしょうか。その理由は、河童が人間に化けることができるということです。河童はシダの葉で頭をなでると、人間に変身できると言われています。河童は人間になって、人間の社会に溶け込んでいるのかもしれません。
また、河童は水中に潜っているときは透明になります。河童は水中に隠れて、人間の目に触れないようにしているのかもしれません。河童は日本の伝統的な妖怪で、人間との関わりが深いものです。河童の姿が見えなくなったとしても、河童の物語や文化は今も残っています。
さいごに
河童を保護するためには、まず河童が住むとされる水辺環境の保全が重要です。河童は水質のきれいな川や沼を好みますが、開発や汚染によってそのような場所が減っています。水辺環境を保全するためには、以下のようなことができます。
- 川や沼の周辺に植物を植えたり、自然のままにしたりすることで、水辺の生態系を豊かにする。
- 川や沼にゴミを捨てないようにする。また、農薬や洗剤などの有害物質を流さないようにする。
- 水辺に遊びに行くときは、河童の生活を邪魔しないように静かにする。
- 河童は人間に対して好奇心が強いが、臆病な性格なので、驚かせたり追いかけたりしないようにする。
次に、河童の存在を認めて、敬意を持って接することも大切です。河童は水神の使いや依り代として、水辺の秩序を守る役割を果たしています。河童に対しては、以下のようなことができます。
- 河童の好物であるキュウリや魚を川や沼に供える。これは河童に感謝や尊敬の気持ちを表す行為です。
- 河童の祠や塚を訪れて、お参りをする。これは河童に祈りや願いを伝える行為です。
- 河童の伝承や民話を語り継いで、河童の文化や歴史を学ぶ。
以上のように、河童を保護するためには、水辺環境の保全と河童への敬意が必要です。河童は日本の水辺に欠かせない存在ですので、河童と人間が共生できるように努めましょう。🌍