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サイコパス・ムロが暴走!半蔵門の“誕生秘話”にSNS爆笑!
こんにちは、大河ドラマファンの皆さん。今週も「どうする家康」の見どころをお届けします。今回は第38回「唐入り」(8日放送)です。嵐の松本潤が江戸幕府初代将軍・徳川家康を演じるこの作品は、家康の人生を描くとともに、その時代の歴史的な出来事や人物にもスポットライトを当てています。今回は、豊臣秀吉(ムロツヨシ)が朝鮮出兵に乗り出すという衝撃的な展開が待っています。
秀吉の野望と茶々の悲劇
天下を統一した秀吉は、国内に敵がいなくなったことで、次の侵略目標を海外に定めました。まずは近い朝鮮半島から目指すは中国大陸。サラリーマンの感覚では想像がつきにくいかもしれませんが、人間の欲望に際限はないのでしょうか。この辺でやめておけば、と思っても仕方ないでしょう。
しかし、秀吉の野望は、彼にとって最愛の妻・茶々(北川景子)との別れを意味していました。待望の子供・鶴松を授かったものの、早世してしまった茶々は、深い悲しみに暮れていました。秀吉は、悲しみを紛らわせるためか、茶々をなぐさめるためなのか、サイコパス感にますます拍車がかかりました。茶々を自分だけのものにしたいという執着心から、彼女を金網で囲った豪華な屋敷に閉じ込めたり、彼女が気に入った男性を次々と殺したりしました。茶々は秀吉への愛情と恐怖とで揺れ動きながらも、彼に従っていきます。
日本軍の苦戦と三成の苦悩
一方、朝鮮半島では、加藤清正(高橋一生)ら日本軍が敵地で大苦戦していました。朝鮮軍や明軍との戦闘で多くの犠牲者を出し、食糧や弾薬も不足していました。それでもなお、秀吉からは「勝利報告」という無理難題が要求されていました。
そんな中で、秀吉の側近として朝鮮出兵を支えていた石田三成(中村七之助)は、苦悩します。三成は、秀吉の野望に疑問を抱きながらも、忠義を尽くそうとあの手この手を考えます。しかし、秀吉は三成の努力を認めず、彼を冷遇したり、罵倒したりしました。三成は、秀吉に対する不満や反発を抑え込みながらも、彼のために働き続けました。
家康の忍耐と半蔵門の誕生…そうだったのか!半蔵門
一方、家康は、関東の北条家を攻めて勝利した後、国替えになりました。関東に移ることになった家康は、本多忠勝(山田裕貴)、榊原康政(杉野遥亮)ら重臣にそれぞれに領地を与えました。タイトル通りに家臣団も一国一城の大名へと昇格しました。地元を離れることになったことを謝る家康に「今川、武田も滅び織田も力を失った乱世を我らは生き延びたんじゃぞ!」と声をかける忠勝。確かに世の中、生き残った者が勝ちだなと思わされます。
だが集められたのに何も与えられなかった服部半蔵(山田孝之)が「わしゃ、どの地をいただけるので?」「わしゃ、何で呼ばれたんじゃろう」と聞くと周囲は気まずい雰囲気に。家康が「わしとともに江戸へ行こう。どこかやるさ」とフォローし、その場はおさまりました。江戸に半蔵が守った城門が「半蔵門」とされており、駅名・地下鉄名にもなった有名な存在です。軽いテイストに作られた逸話にSNSでも「マジ、ギャグ要員」「最高すぎるだろ」と笑いの声が相次ぎました。番組関係者も「実際はもう少しきちんと決まったのだと思いますが…」と推測しています。
…家康の忍耐と半蔵門の誕生の続きです。
家康は、江戸に入ると、まずは城の建設に取りかかりました。しかし、江戸は湿地帯であり、城の基礎を作るのに苦労しました。家康は、半蔵に城の工事を任せました。半蔵は、自ら現場に出て、土木工事や石垣工事を監督しました。半蔵は、家康から領地を与えられなかったことに不満を持ちながらも、家康に忠実に仕えました。
半蔵が守った城門は、「半蔵門」と呼ばれるようになりました。この門は、江戸城の正面にある重要な門であり、現在も残っています。また、駅名や地下鉄名にもなっています。半蔵門は、半蔵の功績を称えるとともに、彼の悲哀を物語っています。
秀吉の死と家康の決断
秀吉は、朝鮮出兵の最中に病に倒れました。秀吉は、死の間際に、自分の後継者として五歳の秀頼(松本潤)を指名しました。また、秀頼を補佐するために、五大老(徳川家康、前田利家(小日向文世)、毛利輝元(山本耕史)、上杉景勝(佐々木蔵之介)、宇喜多秀家(高橋一生))と五奉行(石田三成、増田長盛(松尾スズキ)、長束正家(小林隆)、浅野幸長(山田孝之)、木下延俊(中村七之助))を設けました。
しかし、秀吉の死後、豊臣政権は内部分裂することになります。五大老と五奉行の間に対立が生じ、特に家康と三成が対峙することとなります。家康は関東から、三成は大坂から関ヶ原を目指して出陣し、間もなく関ヶ原の戦いが勃発します。
関ヶ原の戦いは、日本史上最大規模の合戦であり、日本の運命を決める戦いでした。家康は、西軍の一部を寝返らせることに成功しました。三成は、孤立無援となりました。結果的に、家康が勝利しました。三成は捕らえられて処刑されました。豊臣政権は崩壊し、徳川家康は、天下人となります。
まとめ
第37回の平均世帯視聴率は10・1%で二桁復帰しました。ライバルのテレビ朝日系「ポツンと一軒家」の11・7%に次ぐ数字でした。物語が終盤を迎えた10月。三英傑(織田信長、秀吉、家康)の一人がまた晩年を迎えようとしています。それでもなお忍耐の日々が続いている家康の人生。有名な遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず…」の言葉が身に染みてきます。
今回は、「どうする家康」の第38回「唐入り」の見どころとその続きをお伝えしました。秀吉の暴走と茶々の悲劇、日本軍の苦戦と三成の苦悩、家康の忍耐と半蔵門の誕生、そして秀吉の死と家康の決断という壮大なドラマが展開されます。この作品は、家康の人生だけでなく、日本の歴史をも描いています。家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず…」の言葉は、私たちにも教えてくれるものがあると思います。
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